コミュニケーションがない私たち

社会に対していろいろ思うことはあれ、日々の生活に文句はないというか、とても幸せに生きているので(あ、これが「ボーッと生きている」ということか!?(=゚ω゚)ノ)、とくに自分から書くこともなくて、「泉北コミュニティ」のお世話になる日々でありますが(←言い訳。ププ)、2月27日号の「記者のつぶやき」にこんなことが書かれていて、引っかかった。


記者のつぶやき

荒川 ▼私の住む団地内の道路は狭く、よく階段下に止めている車を邪魔だなぁと思っていた。ところが先日、その車から足の悪い高齢の妻を、ご主人が支え歩いている場面に出くわした。座るところもないのに待たせておけないし、それなら仕方ないと思うと同時に、自分の想像力のなさに恥ずかしくなった。いつも夫には「想像力がない!」と怒っているのに。人の状況に想像力を働かせて、お互い広い心で思いやりたいものです。(「泉北コミュニティ」2020年2月27日号


これ、皆さん、どう思いながら読まれました?(*'ω'*)


違和感ありません?


恥ずかしく思う必要あります?


むしろ、「記者のつぶやき」用=読者向けに、”盛ってる”んじゃないかと勘ぐったりしません?(あー、怖いコワイ。そんな時代になったのよ。 ;∀;)


この記者は想像力を働かせて、「この車の持ち主は、周囲の迷惑も顧みず、自分の都合で、”迷惑”駐車をしているのだろう。プンプン」と思っていたんだよね?


この方の想像力は人並みにあると思う。多いわけでも少ないわけでもないだろう。


むしろ、「この車の持ち主は、やんごとなき事情のため、いつも路上駐車をされているのだろう。ご近所の私が助けてあげられることもあるかもしれないから、自宅の電話番号を挟んでおこうか。いや、そんなことをしたら、かえって迷惑かな。とにかく、どこの誰かは存じませんが、早く問題が解決するように、心からの応援とお祈りを申し上げます。ナムナム・・・」とか思っている方が、よほど「この人、頭の中がお花畑なんじゃない?」と思われたり、家には毎日じゃんじゃん電話がかかってきて、身ぐるみはがされるんじゃないかと気が気でない。(というか、そんなこと言い始めたら、世間の路上駐車をすべてその目で見なきゃいけなくなるぞ? 「これは迷惑駐車」「これはやむなし駐車」なんて区別、存在しないよね?)


おそらく、そこに無いのは、想像力じゃなくて、「コミュニケーション(力)」だろう。

そういった理由でいつも路上駐車をせざるを得ないのなら、この車の持ち主こそが、宅配業者がダッシュボードの上に置いているような文言を掲げておいておけばいい話だよね?


想像力は世界を救うと、私も思う。

想像力が大事なのは、その通りだ。


でも、コミュニケーション(力)の方が、たぶんもっと大事だ。


「言っても通じない」ことはあるが、「言わないと通じない」のだ。

「言わずとも通じる」のは、(相手への)感謝。それを強いるのは、(自分の)我儘。






・・・ま、両方大事だな。(笑)

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

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