世代を更新するか、一所懸命、一代で墓標となるか


自治会が運営する銭湯 「竹城温泉」誕生 3丁府営団地に 1980(昭和55)年ごろ

 1969(昭和44)年以前に建てられた府営住宅には風呂スペースがなかった。このため、府が近隣センターに風呂屋を誘致、ニュータウンには3か所に風呂屋があった。宮山台の大一温泉、若松台の若松温泉、竹城台の皆様温泉である。 

 この中でめまぐるしい変遷を見せたのが竹城台だった。1978(昭和53)年に皆様温泉が経営難のため休業。確かに当時は簡易設置型浴室「バスオール」を取り付ける家庭が急増し、竹城台の府営住宅も半分以上が置いていたという。風呂のない住民からは苦情が噴出したが、不便な生活は当分続くことになった。

 翌年、府は風呂屋を建設する条件に、自治会が運営することを提案した。住民アンケートを行うなど検討した結果、1980年、自治会が運営する「竹城温泉」が誕生した。府が建て、泉北開発センターを通して自治会に貸与するもので、府下でも珍しい例だった。

 しかし、この竹城温泉も苦難の道を歩んだ。利用者は限られるため、やはり赤字運営。自治会内部では役員が対立し、ひと月もしないうちに突然閉鎖された。約7か月のブランクの後、1981年3月に自治会が民間業者に運営を委託する形でやっと再開されることとなった。それでも、採算は取れず赤字ギリギリという営業状態が続く。「住民の社交場に」とPRに努めるが、簡易浴槽を備える家庭は7割にもなり、利用者増も望めなかった。

 幾度も危機がささやかれたが、ともかく経営は維持された。そして、1991年3月、竹城台府営住宅すべてに浴室が完備され、竹城温泉は10年間の営業に終止符を打つことになった。

◆ ◆ ◆

「竹城温泉」は2013年6月6日号、左の「長峯団地」は1989年9月7日号の記事に加筆。過去、本紙で掲載された泉北の出来事を、十数回にわたり連載します。(「泉北コミュニティ」2019年7月7日号


これを読みながら、「あー、過去も今も、よくある話だなあ…(*'ω'*)」としみじみ思わせられた。(cf. AIR Mook 11『あのまち、このまち失敗事例集「墓標シリーズ」』


今の泉北ニュータウンだったら、やまわけキッチンが、これに相当するのかもしれないなあ。(●´ω`●)

・・・という点で、似通っているような(*'ω'*)。


 しかし、このやまわけキッチンも苦難の道を歩んだ。利用者は限られるため、やはり赤字運営。……採算は取れず赤字ギリギリという営業状態が続く。「住民の社交場に」とPRに努めるが、……利用者増も望めなかった。

と読み替えると、リアリティがある。


最終的には、

 幾度も危機がささやかれたが、ともかく経営は維持された。そして、◆年◆月、泉北ニュータウンの小学校区すべてに「みんな食堂」が誕生し、やまわけキッチンは◆年間の営業に終止符を打つことになった。

にまでたどり着ければいいのかなあ。

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

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