まだ「まちづくり」で消耗してるの? と言われないために~③
私自身の「まちづくり」との関わりは、まさに上記の第3世代、1995年の大学入学後に始めた障害者――この表記は、当事者団体自身の表記にならっています――の生活介助に端を発します。重い障害を持つ人が自ら、自立生活センターと介助者グループを組織して、地域で自立した生活を送る、その運動は「まちづくり」そのものでした。その後、障害者福祉から高齢者福祉へと、主なフィールドは変わりましたが、「福祉を通したまちづくり」にずっと関わってきました。またその過程で、市民のエンパワメント、市民事業体の経営と世代交代、地域の大学・学生を地元の企業とつなぐことにも取り組んできました。そんな私の心のどこかには、「より良いまちになれば、そこに住む人もより幸せに生きられるはず」という思いがあり、自らの関わりを「将来のより良いまち」への踏み石にしたいという思いがあったのです。
ひるがえって、Aさんはどうだったでしょうか。たしかAさんは、「自分にできることを、まちの中でやってみたい」「ここにずっと住み続けたいと思えるように、またそれが可能になるまちになれば嬉しい」という思いから、この活動に取り組まれましたね。今は「シェアの時代」と言われますが、自分の能力や思いをシェアすることは楽しく、仲間と一緒に取り組めばそれだけ大きなことができ、実際に形になったときの満足感も大きかったはずです。でも、この取り組みが3年、5年と継続し、大きくなっていくなかで、この活動そのものや自分の関わり方がどうあるべきか、悩み始められました。そんな頃、「ニーズに応えることが大事では」と伝えたこともありましたが、「できること」「やりたいこと」から始まったAさんにとっては、それは納得できる答えではなかったのでしょう。いずれにしても、ほんの数十人からなる私たちの取り組みでさえ、その動機や中身は「何でもあり」で、それはまさしく日本の「まちづくり」の縮図でした。
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