まだ「まちづくり」で消耗してるの? と言われないために~②人は「まちの家畜」ではない

<良いまちをつくれば人が幸せになるのではなく、まして人は「まちの家畜」ではない>


近代日本の官民および民間によるコミュニティ形成・開発の取り組みは、昭和の町内会・自治会活動などの中にもさかのぼれますが、佐藤滋ほか編『まちづくり教書』(鹿島出版会、2017年)によると、「まちづくり」という用語が登場するようになったのは1970年代が初めで、その歴史はこの半世紀ほどなのだそうです。同書では、

  1. 1970年代初頭以降の時代の転換の中で、より地域に密着した都市・地域づくりの方法として「まちづくり」を生み出した、「理念の第1世代」、
  2. 1980年代中頃以降、多様な「まちづくり」のテーマが地域からわき上がり、住民主体の個性的な活動が展開され、何でも「まちづくり」になっていった、「モデルと実験の第2世代」、
  3. 1995年の阪神・淡路大震災の復興の経験を経て、地域運営をベースに、地域固有の課題への包括的な解を、地域総参加によって得ようとする、「地域運営の第3世代」

というように区分します。Aさんがかつてご指摘のとおり、地域でなされることが何でも「まちづくり」になってしまうのは、30年前からそうだったと言ってもよいでしょう。現在は、地方創生、地域再生といった固めの用語から、地域づくり、まちの再編集といった柔らかめの用語まで多様に用いられ、百花繚乱の感さえあります。


私たちはこれらをどう見ればよいのでしょうか。(一社)エリア・イノベーション・アライアンス木下斉さんら、一部の例外的なトップランナーはいますが、私は全体として、地域の利害関係者が身銭を切って投資し、当該エリアの資産価値も向上させて果実を得ようとするエリアマネジメントとは大きく異なる、「安上がりのまちづくり」「儲け(てはいけ)ないまちづくり」が幅を利かせていると見ています。1990年代終わりから進んだ社会福祉基礎構造改革で、日本の福祉は「運営」(措置)から「経営」(契約)へと大きく舵を切ったものですが、日本の「まちづくり」では、「地域運営の第3世代」という名に見られるとおり、また総務省がそれを担う組織を「地域運営組織」と称して検討を続けるなど、「経営」の概念は未だメインストリームに入っていません。以前、私たちの活動に経営的な観点が薄いことについて、Aさんがこぼしておられましたが、その背景には、この半世紀を通して「まちづくり」に助言と試みを続けた一方の当事者は大学の研究者であり、もう一方の当事者は、地域社会の急激な高齢化と人口減少への対応を迫られる行政担当者で、いずれもその取り組みを通じて関係者の資産形成を手伝うわけにはいかなかったという、彼らなりの論理があった――実際には別の論理と成果もあったのですが――ように思われます。ともあれ、現状に満足せず、未来に課題と期待感を持つ人たちの夢の受け入れ先、それが日本の「まちづくり」であったことは間違いありません。

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

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