いいまちができても、不健全だったら意味ない
所ジョージさんの凄さを改めて思い知らされた出会いがあった。
それは、BuzzFeed Japan 神庭亮介による、「新入社員に伝えたい本当のトコロ」というインタビュー記事だったのだが、その中に、こんな下りがあった。
たとえばの話、体にいいって聞いたものを並んで手に入れたとする。人より先に手に入れて、サプリメント飲みながら仕事する、みたいな。でもそれって不健全じゃん。
「健康」より前に「健全」を考えないと。トースターで焼いたパンをそのままかじって家を出るんじゃなくて、皿を置いて、紅茶を淹れて、バナナを添えて。ゆっくりした雰囲気のなかで食べるってことが健全なの。
面倒くさいけど、皿を洗うとか、雑巾を絞るとか、そういう刺激が大事。冷たい水は触らない、いいところだけを口に入れる、っていうのは健全でも健康でもないと俺は思うのね。(「新入社員に伝えたい本当のトコロ」(あしたのBuzzfeed Japan@20180413))
いや別に、余裕の感じられる、オシャレな生活をしろ、って話じゃない。
何をもって健全というかは、人によって違うとすら思う。
「健康寿命を伸ばそう」「健幸社会をつくろう」などと言われる昨今、「健康」に焦点が当てられがちだけれど、健康だったらいいのか? という話だ。
仮に、いいまちに向かっていったとしても(たぶんそんなものはない)、不健全だったら意味ない。
担い手の個人・家族の生活や関係性、リプロダクティブヘルス/ライツ、現在または将来にわたる生計が脅かされるようだったら、意味ない。
みんな、”大義”に騙されるな。
大義は眩しく、甘い香りを放つが、個人も家族も未来も吸い取られるぞ(自分のものを吸い取られた程度で片がつくなら、それもありかもしれないが、んなわけはない)。
トースターで焼いたパンをそのままかじって家を出るような「まちづくり」への向き合い方は、やっちゃいかん。
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