「フェニース・セケーイ」
泉北の話ではないが、ちょっと気になったので書いてみようと思う。
「広報さかい」4月号の1面トップに、「フェニーチェSACAY 平成31年秋 グランドオープンへ」とありまして・・・。
これ、皆さんどう読まれました?
ちなみに、堺市トップページ>観光・歴史・文化>文化・芸術>フェニーチェ堺(堺市民芸術文化ホール)>愛称・ロゴ>愛称が決定しました! には、下記のように書いてある。
〇愛称の由来
「フェニーチェ」は、イタリア語で不死鳥を意味しております。
本市は、大坂夏の陣、第二次世界大戦などによって焦土と化しましたが、その都度、不死鳥のように蘇ってまいりました。ホール敷地南側に面する国道310号には、こうした炎の中から新たな生命を得て生まれ出る不死鳥のように力強く立ち上がるという思いが込められており、市民から「フェニックス通り」として親しまれております。
このように「フェニックス」は、堺の悠久の歴史の中で常に前を向いて歩んできた先人の想い、そしてそれを受け継ぐ我々の決意を象徴的に表す言葉です。その言葉をイタリア語で表現することにより、中世において、自由・自治都市、また国際貿易港として大いに繁栄し、イタリアの自由都市・ベニスのごとしと称されていた堺のまちを想起させることから、新ホールの愛称に最も相応しいとして決定いたしました。
そして、堺市トップページ>観光・歴史・文化>文化・芸術>フェニーチェ堺(堺市民芸術文化ホール)>愛称・ロゴ>ロゴマークが決定しました! には、下記のようにある。
〇コンセプト
飛翔する「不死鳥」と市民を表す「人」をモチーフにし、フェニーチェ堺と市民との一体感やフェニーチェ堺に人々が訪れることで生まれる賑わいを表現しています。
4つのモチーフは、芸術文化の「創造」「交流」「発信」「未来への飛躍」というメッセージを込めています。
本市の芸術文化の殿堂となるフェニーチェ堺が「堺の芸術文化を未来に向かって飛躍させ続けよう」という堺市民の願いを表現しています。
〇「SACAY」の表記について
中世において宣教師により記された、ヨーロッパでの印刷による単独の日本図としては最初の図となるテイセラ/オルテリウス「日本図」(1595年)に記載された本市の表現です。
国名以外で表記があるのは、堺と都、鹿児島の三都市のみであり、自由・自治都市、また国際貿易港として大いに繁栄した当時の堺を彷彿とさせる表現としています。
で、下記とされたわけですよ。
「FENICE SACAY」を「イタリア語表記」とせず、「外国語表記」とするところが、もう絶妙だなあと思って。(๑˃̵ᴗ˂̵)و
(「FENICE」は現代イタリア語、「SACAY」は400年以上前のオランダ語での当て字だもんなあ。つまり、「FENICE SACAY」はどこの国の言葉でもなくて、ただの”ちゃんぽん”、「外国語”風”表記」。)
(ていうか、あれだけ「フェニーチェ堺」、「フェニーチェ堺」って言ってるんだから、ロゴの日本語表記も、「フェニーチェ堺」でええやんか!!(=゚ω゚)ノ って思う。こんな日本語おまへん。そもそも、「フェニーチェSACAY」のどこにも、日本語はあらしまへん!)
なお、文化遺産オンラインには、
ティセラ 桃山時代/1595年
イエズス会士でポルトガルの地図製作者ティセラによる日本単体図。1595年に改定・刊行されたオルテリウスの世界地図帳『世界の舞台』に初めて掲載された。北海道はないものの、日本は本州・九州・四国で構成されており、かなり実態に近づいている。豊後・筑前などほぼすべての国名が表記され、九州には日出・府内・臼杵・佐賀関・鹿児島といった地名もみえる。
とあり、堺市のいう「国名以外で表記があるのは、堺と都、鹿児島の三都市のみであり」という記述もなんだか怪しくみえる。orz...
そもそも検討過程で、この名称を含めたいくつかが候補に挙がったときに、役所で雇用している外国人に意見を聞く過程を、きちんと経たのだろうか?(イタリアの「フェニーチェ劇場」を引かなかったのは、せめての自重か?)
外国語表記をするのは、外国人に理解してほしいからであって、「外国人に理解してもらう必要はないが、自分たち向けにカッコつけたいから。オサレな読み方をしたいから」じゃないよね?
「FENICE SACAY」を英語読みすると、「フェニース セケーイ(もしくはセーケイ)」となるみたいです。イエーイ、セケーイ♪
ついでに言うと、
中世において、自由・自治都市、また国際貿易港として大いに繁栄し、イタリアの自由都市・ベニスのごとしと称されていた堺のまち・・・
というようなアピールを、堺市役所界隈でよく見かけるけれど、これって、「懐古主義」そのものですよね? これが、現代人や未来人を強く惹きつけるとは、とうてい思えない(し、現に惹きつけていない)。
これは、たとえば英国人が「かつての大英帝国は、偉大だった」と昔を懐かしみ、過去を美化するのと変わりありませんよね? この種の懐古主義が、時代に対して、メジャーな吸引力を果たして持ちうると思うか?
現実のロンドンは、一度は日が沈んだ後、ビッグバン(1986年にロンドン証券取引所で行われた証券制度改革)に、フィンテック(FinTech:ファイナンス・テクノロジー)に、世界に新しい波を送り続けている。
堺が、その歴史に根ざしつつ、現代はおろか未来にわたって示しうる強烈な価値は、「自由・自治」だろう。この意味で、堺は偉大な歴史を有している。
ただこれを現代と未来に問うためには、(‘’中世の堺では~”じゃなくて)新しい時代の文脈に乗せる必要がある。つまり、まだ誰も見たことがない「自由・自治」を見せる必要がある。
これが、イノベーション。京都はある種、それをやり続けている稀有な都市だ。だからあそこは凄い。
堺に、その「つもり」はあるか?
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