「わたし」が変わる~「つながる10days」と「もがいた10years」を越えて③
【転向宣言】
そういうわけで、今や「転向」してしまった私ですが、引き続き、せんぼくではたらくつもりです。2畳大学を主宰しておられる梅山 晃佑さんは、「泉ヶ丘十夜語り」の第五夜で、「留年論文」を書く取り組みを教えてくれました。いま話している内容は、私のせんぼくでの留年論文の一部と言ってよいと思いますが、留年してまで取り組もうとしていることの軸は、次の二つになる予感がします。一つは、私とのつながりを持った「あなた」が幸せになるのを手伝うこと。もう一つは、(イベントをしないのではなく)「わたし」のためのイベントに取り組み、それを通して「わたし」が「変わる」触媒になることです。
【「わたし」が「変わる」について】
思想家の内田樹は、村上春樹や吉本ばなながが持つすぐれた作家性について、「その作品の読者は、それを他でもないわたしのために書かれた物語だと受けとめるから」と説きます。臨床哲学者の鷲田清一は、『聴くことの力』(TBSブリタニカ、1999)の中で、「路上でふと名前を呼ばれて、どきっとすることがある。が、すぐに、気配で、だれかが同じ名前の別人に声をかけていたのだとわかる。逆に名前を呼ばれているわけでもないのに、だれかが背後からじぶんに語りかけていると感じることもよくある。何度も何度も呼ばれているのに、ぼーっとしていてその声に気づかなかったということもよくある。ことばが、まるでそのひとにふれるかのように、そのひとにとどくというのは、いったいどういう事態なのだろう」(p.66)と問うた後で、「話しかけているときを思い起こしてみると、例えば未知の向こうにいる人に、アブナイ! と叫んだり、昨夜はどうして来なかったんだよと親しく話しかけるときは、相手との距離は消えている。空間はなくなり、ただ向かいあう自と他のみがある」という、竹内敏晴の言葉(『ことばが劈(ひら)かれるとき』ちくま文庫、1998)を紹介します(p.71)。
思えば、私がDIYの世界と深くかかわるきっかけとなった、2014年のDIY R SCHOOL at 公社茶山台団地は、「これはわたしのために開かれたようなスクールだ」と思って参加したものでした。今回のいずみがおか広場の「ひろばダイアログ~泉ヶ丘十夜語り」は、まさかそうとは思っていなかったけれど、蓋を開けてみれば、これこそまさしく「わたしのために開かれたイベント」でした。
いま分かっているのは、こういうことです。私たちは、誰かのために事業をしたり、誰かのためにイベントをしたり、誰かのために計画を立て、誰かのためにまちをつくってはいけない。そうではなく、すべては、常に私の向こう側にいる(まだ見ぬ「誰か」ではない)「わたし」のためになされなくてはいけない。
『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013)の共著者として知られる岸見一郎が以前、三木清の『人生論ノート』を取り上げたNHK番組で、「この本を読んで人生が変わらなければ、読み終わった時に世界が変わって見えると思わなければ、意味がない。哲学の本とはそういうもの」と言っていて、腰を抜かしたことがあります(私にとっては、先の『聴くことの力』のほかに、佐野眞一『旅する巨人――宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋、1996)、富岡幸一郎『使徒的人間――カール・バルト』(講談社、1999)がそういう本でした)。でも、岸見さんの言っていることはその通りで、すなわち、私たちが取り組むべき事業、イベント、計画は、それによって「わたし」が変わらなければ、意味がないと思うのです。
「そんなこと、できるのか? まちライブラリーの磯井さんも、人を変えることはできないって言ったんでしょ?」とおっしゃるかもしれません。それは可能です。「わたし」を変えるんじゃない。声が「わたし」にとどけば、あとは「わたし」が変わっていってくれるんです。そして、声をとどけることは、アート(技術)なので、学ぶことはできる。(つづく)
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