まちは、人を幸せにはできない~「つながる10days」と「もがいた10years」を越えて②

【そうではない解があった】

いずみがおか広場 つながる10days」で開かれた、「ひろばダイアログ~泉ヶ丘十夜語り」の第一夜で、広場ニストの山下 裕子さんと話してわかったのは、「消費とは“等価交換”。そうではなく、“贈与の応酬”であれば、この課題はクリアできるのではないか」ということでした。そして、第三夜で、まちライブラリー提唱者の礒井 純充さんに言われて決定的に響いたのは、「組織や仕組みが、人を幸せにすることはないよ。それに、人は変えられない。だから中村さん、顔とつながりのある誰かを幸せにしなさい」という言葉でした。確かにその通りです。人は、人からだけでなく、組織や仕組みによって、また計画によって変えられることも、幸せになることもない。けれども、人も組織も、計画によって動く、動かされます。では、私たちはどういう風に、組織や計画と向き合っていけばいいのでしょうか?


第四夜で、コミュニティファシリテーターの佐伯 亮太さんから、こんな話を聞きました。20世紀は鉄腕アトム(ヒーロー)型だったが、21世紀はワンピース(みんなで)型だ。ただ、「みんなで」と言うと、ジグソーパズルの絵が示されて、皆さんはピースの一つですよ、と言われることがある。でも、ジグソーパズルには、どこかにその絵を描いた人がいるわけですよね。そうではなく、レゴブロック(のブロック)だと思う。つまり、最後に何ができるかは誰にもわからない。「スーパーマリオメーカー」というゲームソフトでは、自分でスーパーマリオのゲームを作って、遊ぶことができる。そこでは、作る人と使う人がほぼイコールになっている。今は、そういう時代なんだと思う。よく、まちづくりと言われるが、まちはもうできている。あとは、どう使いこなすか、どう使い倒すか。そういう意味で、僕たちがやらなきゃいけないのは、「まちづくり」ではなくて、「まちづかい」なんじゃないか・・・。


佐伯さんはまた、「住民」と「住人」を明確に区別しているとおっしゃっていました。「住民」は、あるエリアに住んでいる人たち。「住人」は、たとえば自分のいる団地に住んでいる何とかさん、何とかさん、というもの・・・。私はこの話を聞いて、ああ、失敗する計画というのは、「住民の方」を向いて作られてはいるが、「住人の〇〇さん」のためにされているわけではないからなのかな、とわかったのです。


私はこれまで、いいまちを作れば、人を幸せにできると思っていました。でも、そうじゃない。まちは、人を幸せにはできないのです。組織も、イベントも、人を幸せにすることはできない。でも、人は、人を幸せにすることができる。世の中に正解は無数に存在するが、これは正解の一つだ。私はそう確信し、その解はすっきりと腑に落ちたのです。「いや、そんなの当たり前の話やん。いまさら何を!?」とおっしゃるかもしれない。けれど、10年にわたる回り道を経て見えてきた地平は、今までとはまるで違う景色を私に与えてくれました。(つづく)

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

0コメント

  • 1000 / 1000