せんぼくのSDGsを達成する
朝日新聞「GLOBE」の今月の特集は、「未来をあきらめない~SDGsで見える世界」だった。
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)とはすなわち、以下の17分野の目標(と、具体的な行動の目安となる169のターゲット)のこと。
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- すべての人に健康と福祉を
- 質の高い教育をみんなに
- ジェンダー平等を実現しよう
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに そしてクリーンに
- 働きがいも経済成長も
- 産業と技術革新の基盤をつくろう
- 人や国の不平等をなくそう
- 住み続けられるまちづくりを
- つくる責任 つかう責任
- 気候変動に具体的な対策を
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
- 平和と公正をすべての人に
- パートナーシップで目標を達成しよう
これを見て、「ああ、これはまちづくりでも、ほとんど変わらない。むしろ、包括的に作られているだけに、使えるな」と思った。(傍線部は、すべてまちづくりにおいて該当する。該当しないのは、2.飢餓をゼロに、6.安全な水とトイレを世界中に、の2点だけだろう。逆に言えば、日本の「まち」は過去半世紀、この2つだけは保障され続けた。)
SDGsの基本となる理念は、「誰も置き去りにしない」というもの。
福祉(well being:個人の権利や自己実現が保障され、身体的・精神的・社会的に良好な状態である=幸福である)の世界をはじめとして、「当たり前(の暮らし)を実現する」ことめざす取り組みはよくあるが、何を当たり前=常識と思うかは人によって異なる(そう、「常識」は人によって違う。)だけに、私はそこに、「私の思う当たり前に、あなたも、また社会もやって来い」という、ある種の傲慢さや強引さを感じずにはいられない。
けれども、「誰も置き去りにしない」というのは、「(あなたも私も)まだ見ぬ未来に、一緒に行きましょう」という姿勢を示していて、とても素敵だと思う。
ひるがえって、せんぼくの地(ぢ)の人が抱く代表的なルサンチマンとして、「ニュータウンばかり開発されて…(里の域は置き去りに)」というものがある。
この種のルサンチマンは、ネトウヨでも、また日本の昨今の選挙でも、さらに前回のアメリカ大統領選挙でも、広く見られるとおりだ。
私たちは、まちもひとも、ただ守るだけでなく、開発していくのがいいと思う。ただ守るだけなら、きっと守れないし、期待できる未来も創れない。
せんぼくD!Yまちづくりが、「誰も置き去りに」せずに、まちのSDGsを達成していくためには、何をどうすればいいだろうか。
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