私たちのことを私たち抜きに決めないで/個人的なことは政治的なこと
昨年度から、大学に再び通うことになったこともあり、ワイシャツに自分でアイロンをかけるようになった。そのことが自分にとって、とてもいい経験・変化を生んだので、今日はその話をしたい。
以前は、「アイロンは自分でかけているの?」と問われるたびに、「いや、クリーニングに出しています」と答え、何か後ろめたい、情けないような思いを持ってきた。でも今は、自分でアイロンをかけているので、
- クリーニングに出すスケジュールを考えながら、いつ着るかを考えたり、
- 仕上がったシャツをクリーニング店に受け取りに行く都合をつけたり、
- 全面をパリパリにプレスされたシャツを着る、
ことがなくなった。
むしろ今では、クリーニング店(の憂い?)からは自由だし、アイロンをかけながら、
- シャツの汚れや傷み、ほつれに気づいて、早めに手当てできるし、
- プレスのことだけを考えても、シャツはきっと長持ちするだろうし、
- 「もうこのシャツもあまり長くは着れないな」「次に作るシャツはどうしようか」など考えながら、シャツと、アイロンかけの時間を大事にするようになった、
と思う。 別に大した時間をかけているわけでもないし、人様に着てもらえるほどの腕前というわけでもない。でも、自分に必要なことはできているし、続けていけばうまくもなる。何より、自分に自信がついた。
「アイロンかけで自信がつくって、そんな大げさな!(´,_ゝ`)ププ」と思われるかもしれない。 でも、それまで人に頼っていたことが自分でできるようになると、よりいっそう自分の力を信じ、頼りにできるようにもなるもので。(にっこり)
私たちの組織は、1998年に、「いつか自分がケアやサポートを必要とするようになったときに、信頼できるサービスが地域にあってほしい」と望まれて生まれ、以来20年近くにわたって、福祉を通したまちづくりを行ってきた団体だ。
中でも、ワーカーズ・コレクティブ(働く人たちの協同組合)という運営形態を持ち、そのメンバーである私たちは、組織を支える労働者でありながら、組織のかじ取りをする経営者の視点が同時に求められてきた。
ただ現実には、「必要で、誰かがやらなきゃいけないのは分かるけれど、事情があって私は会議に出られず、意見を出せず、行事に参加できず、お手伝いができなくて、ごめんなさいね」的な発言が日々出続けることは、皆さんよくご承知のとおり。
でもたぶん、求められているのは、「自分で着るシャツのアイロンかけをする」ことだと思うんです。組織の運営であっても、まちづくりであっても、まずは自分が満足できるように、自分で手当てできれば素敵だし、皆さんが感じておられる(自分は関われていないという)後ろめたさや情けなさも、きっと軽減されると思うのです。
そりゃ、確かに制度はある。この組織には理事会があり、社会には介護保険もある。
世の中、制度だらけです。
それらの制度はもともと、私たちが役割分担・世代交代をしたり、いざというときの支えになってくれるために、かつての私たちが作ったものですが、ひとたび制度になったとたんに、それは「みんなのために」機能する一方で、「私(だけ)のため」には機能してくれないものです。「みんな」という人はどこにもいないので、誰ひとりとして満足することはありません。
「クリーニング店」という社会制度=システムは、私たちを支えてはくれるが、自信も満足も、与えてはくれないのです。
先日来、経済産業省事務次官・若手プロジェクト「不安な個人、立ちすくむ国家」という資料が話題になっています。毀誉褒貶は他に任せますが、それを私たちに即すと、「不満な個人、立ちすくむ組織」と言ってもいいかもしれません。泉北では、「不満で不安な個人、立ちすくむ行政」と言っていいかもしれない。
でもそんなの、前から(うすうす)分かっていたはずです。
皆が、「できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」と願っていただけではなかったか。
昨年から始めたアイロンかけをしながら私が思うことは、私たちに必要なのは、それまで飲んだことのない杯を飲み干すことではなく、普段着ているシャツのアイロンかけをすることではないか、ということです。
もっとも、皆さんにとってのアイロンかけが何を意味するのか、私には分かりません。 それに、アイロンかけをするにも、時間を含むいろんなコストが必要です。多くの人は、そして私自身、お金や他のもので代替してきました。
私はやったことがありませんが、たぶん、子育てもそうなんでしょう。
「子育てのアイロンかけ」は私には想像がつきませんが、上記の若手プロジェクトの資料には、女性の視点が欠けていることは分かります。それは彼らが、日々の子育てを妻に任せている男性か、もしくは「(日本型企業社会における男のように働く)バリキャリ女性」だからなのかもしれません。
最近ニュースによくのぼる「日本認知症ワーキンググループ」(<認知症当事者の会)のモットーである、「私たちのことを私たち抜きに決めないで」“Nothing About Us Without Us”という言葉は、1960年代にアメリカで始まった障害者の自立生活運動のスローガンとして使われてきた言葉で、日本でも30年を超える歴史があります。
こういうニュースに触れるたび、ひょっとして皆さんは、彼ら/彼女たちを応援したいと思うかもしれません。
「私のことを私抜きに決めないで」という思いは、子供から大人まで、皆が抱く感情です。そして、私たちは、私たちのことを私たちで決められるようになるために、育ち、学び、政治をしてきたはずです。(社内・町内・家庭内政治であっても、それは政治に違いありません。「個人的なことは政治的なこと」"The personal is political"という通りに。)
だとしたら、応援(エンパワー/empower)すべき相手は、今の私たち自身ではなかったか?
私は本日をもって、この組織の代表を退きます。しかし、今後も理事としてかかわり、広い意味で泉北の「まち・ひと・しごと」のアイロンかけをしていくことに変わりはありません。ぜひ皆さんも、皆さんにとっての「アイロンかけ」にチャレンジして頂きたいと思います。
代表理事としてのこれまでの4年間、ありがとうございました。そして今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
・・・という挨拶を、昨日開かれた年次総会でしようと思っていたが、準備と時間の都合上、半分程度しか話せなかったので、ここに書いておくことにする。(内田樹風に。笑)
あ、そうそう。堺市の市政モニター募集は、5月31日までですよ~。
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