要望と交渉は違う


南海電鉄のダイヤなど堺市が改善要望

 2015年12月に南海電鉄が行ったダイヤ改正により、沿線住民は多大な不便を感じている。市はこれまで公式に2度南海電鉄に働きかけてきたが、南海の反応は鈍い。

 今年2月、竹山修身市長が南海の遠北(あちきた)光彦社長に面会し、次の6項目について改善を求めた▽中百舌鳥〜三国ヶ丘間に停車する列車の増便▽泉北高速各停と南海高野線の円滑な乗り継ぎ▽中百舌鳥における泉北線と御堂筋線の円滑な乗り継ぎ▽御堂筋線最終列車の到着時刻を考慮したダイヤ改正▽泉北ライナー運行による南海・泉北高速線直通列車の減便の回復▽ラッシュ時における中百舌鳥駅の混雑状況の改善▽老朽化した待合所、トイレなどの改善と駅ナカ商業施設の充実。

 これに対し、南海は各項目について、何ら具体策は示さず、「列車運行計画の策定など各施策の推進に努める」と、わずか2行の回答を出すにとどまった。(「泉北コミュニティ」2017年4月13日号) 


そりゃそうだろうな。 


「要望」と「交渉」は違う。


・・・「交渉」と書いて、いつも私のポートフォリオに入っている、植松努さんのこんな文章を思い出した。 (私は、この文章を支えに、それまで深くかかわった組織から距離を置こうとしている自分を許したことがある。 )


あえて、嫌われ役をやっている。
あえて、憎まれ役をやっている。
という言葉を使う人を何人も見てきています。
さて、では、なぜ嫌われるのか? なぜ憎まれるのか?
たとえば、会議の場や、対人関係において、誰かが普通にやっていることが、問題の原因になっていて、 その問題点を、誰も指摘しないで放置していることが、問題をさらに大きくしているケースがあります。
それを指摘するのは、勇気が必要です。
なぜなら、相手にとってそれは「普通」のことであり、 悪気がないからです。
だから、指摘すると、相手や周囲の反感を買うこともあるでしょう。

僕は「嫌われ役をやっている」とか「憎まれ役をやっている」という人は、「交渉」を知らないのではないかと思っています。
状態を良くするためには、けんかも辞さない。
相手の安心や自信や自由を奪うことも辞さない。
という姿勢で臨むということは、それは「暴力を行使する」ということです。
そうなったら、相手も暴力を用いてきます。
相手も、こちらの安心や自信や自由を奪おうとします。
これでは、報復合戦になります。
だから、たいていの場合、これは、相手が報復してこない環境で行われます。
報復してきそうな相手にはやらないのです。
だから、上司が部下に行います。
先輩が後輩に行います。
男が女にやります。
先生が生徒にやります。
そして、みんな、こういいます。
あえて、嫌われ役をやっている。
あえて、憎まれ役をやっている。

子ども達を暴力から予防するCAPでは、 人間は「安心」「自信」「自由」という大切なものを持っています。
それが奪われる状態が「暴力」です。
安心しているかな? 自信を持てているかな? 自由に選ぶことが出来ているかな?
もしも、そうじゃない、と思ったら、それは「暴力」という状態にあるかもよ。
その状態は、そのままにしないほうがいい。
でも、それを解決するために、相手の、安心と自信と自由を奪ってはいけないよ。
と説明しています。
これは、とてもわかりやすいです。
改善したい状態、というのは、たいていの場合、 自分か誰かの「安心」「自信」「自由」が脅かされている状態です。
それを改善するために、相手の「安心」「自信」「自由」をうばわないようにしたほうがいいです。
そうすれば、嫌われることも、憎まれることも、可能性は減ります。

学校において、子ども達を支配して制御する先生は少なくないです。
それは、その先生の経験に基づく行為なのでしょう。
よかれと思って、勇気を出して、嫌われ役や、憎まれ役をやっているのかもしれません。
しかし、そこには、「交渉」の要素がありません。
「言われたことを、言われたとおりに、余計なことしないで、ちゃんとやれ!」です。
そういう指導をされた子達は、「交渉」を理解できません。
他人の行動を制御するためには、「交渉」ではなく、 「命令」や「強制」や「けんか」しかない、と思い込むかも。
そして、そんなことしたくない人は、他人に対して関わらなくなるような気がします。
他人の嫌なことに目をつぶり、なにも言わなくなるかもしれません。
人間関係で、もっとも重要なのは「交渉」だと思います。
その「交渉」の仕方を適切に教えなければ、 子ども達は、正しい人間関係を構築できなくなる可能性があります。
そして、「交渉」を正しく教えるためには、 あえて、嫌われ役をやっている。
あえて、憎まれ役をやっている。
ということは、まったく必要ないどころか、正反対です。

以前有名になった、DJポリスは、嫌われ役や、憎まれ役をやったでしょうか?
彼はなめられて、誰も言うことを聞かなかったでしょうか?
そんなことないですね。
それは、彼が「交渉」したからだと思います。

僕も昔は、反対する相手や敵対する相手をたたきつぶせばいいと思っていました。
でも、それでは、永久に怨嗟は消えませんでした。 報復は繰り返されるだけでした。
だから今は、「交渉」するようにしています。
僕は、人の可能性や自信をうばう人間が、人の人生や心をゆがめてしまうシーンを何度も見てきました。
自分もそれにさらされました。
でも、そういう人も、悪気が無いことが少なくないです。
もちろん、悪気満点の人もいますけど。
では、そういう人を、全部殺してしまえばいいのか?
それは、してはなりません。
だから、そういう人に負けない人を増やすのが一番です。
そして、 あえて、嫌われ役をやっている。
あえて、憎まれ役をやっている。
なんていうことなく、正しく「交渉」する努力をする人を増やしていけば、いつの日か、暴力的な問題解決もなるかもしれません。

僕の書く文章には、先生の非道な行為が書かれることが多いです。
その行為の及ぼす恐ろしい影響についても書きます。
それは、「こういう行為をする先生がいる」という事実の具体例を示すためです。
でも、僕の文章は、「そういう先生を撲滅せよ」にはなっていないはずです。
僕は、そういう先生に負けないで。と思っています。
そして、負けないための考え方を、自分なりに書いています。
それが、負けそうになってる人の支えになればいいと思います。
そして、うっかり、非道なことをしそうになってる人のブレーキになればいいと思っています。

ただし、「図星」な人にとっては、つらすぎるかもしれません。
えーっと、どうしようかな。どうすればいいのかな。
んーーーー。
対策としては、よほど嫌なら、見ないという選択の自由があります。かな。

(植松努@facebook2015年6月23日)


この文章(と植松さん)の本当に凄いところは、最後の段落に(も)ある。


「排除しない」というのは、こういうことだと思う。

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

0コメント

  • 1000 / 1000