まちは記憶の集積体

藻谷浩介『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社、2014年)の中に、こんな下りがある。


新(雅史)――(前略)正直な話、今の状態では、町をどうつくり直せばいいのかがまったく見えてこないんです。「緑豊かな大槌」とか、耳あたりのよい町の再建コンセプト案はいろいろと出ているようですが、それ以前の問題に直面していると思います。

そしてそのことは実は、大槌町だけでなく、今の日本全体に言えることだと思うんです。そもそも本当に町が必要なのかというと、実は既に私たちは、ほぼ町が要らない生活スタイルになっているのではないでしょうか。必要なものはネットで注文すれば何でも自宅まで配送される時代です。究極的に言えば、町にないと困るのは、それこそ美容院と飲食店くらいかもしれません。(中略)

藻谷――それは「町」を「商店街」に置き換えても同じことですよね。

新さんはこの本の中で商店街のことを「専門性もない、恥知らずの圧力集団になった」と一刀両断されていました。各地に例外はあるのですけど、多くはその通りです。今の商店街を守らなければという論陣を張ったところで、商店街に対して「政治力を使って権益を維持し、町を私物化してきた集団」というイメージをもつ多くの人たちはついてこないでしょう。その実態は既にボロボロで、このままでは町としてあまりに悲しいからなんとかしませんかと言っても、住民、特に年長の男性が賛成しない。それが、全国で遭遇する悲しい現実です。

そのときに、専門性を持って奮闘している一部の商店主と手を組んで、「この町をなんとかしたい」と動きだすのは、大抵若い男女です。町が栄えていた頃を知らず、ノスタルジーも抱かない世代なのに、一体何をもって、そう思うのか。(中略)

離島とか田舎なら、田畑や自然を残していけばいいんでしょうが、多くの都市住民、郊外住民には、そういうわかりやすい「残すべきもの」がない。だから、残すだけの価値のある町を作りたい、と思う。(中略)

ただ困ったことに、地方政治のイニシアチブを取っている60代以上の男性の多くには、驚くほどそういう感覚が欠けているんです。「自分」の「今」が大事で、未来や子孫に向けた思いなんてない。

新――それで思い出したんですが、以前、建築家から聞いて、とても印象に残っている話があるんです。ヨーロッパの教会には、よくステンドグラスがありますよね。あのステンドグラスの模様は、単なる意匠ではなくて、その地域の記憶を保存するという意図があるんだそうです。その図柄を見ると、その地域でどういうことがあったか、思い出せるようになっている。近代人であれば文字で書き残して記録しますが、昔は識字率も低かったので、皆が集まる建築物に、その土地の記憶が描き込まれていたんですね。

この話で思ったのは、昔も今も、町って記憶の集積体なんだ、ということです。現代に生きる私たちも、町の風景を見て初デートのことを思い出したりとか、ちょっとした斜面や段差をつまず見て、小さいときにここで蹟いて骨折したなってことを思い出したりするはずです。(pp.32-34)


たぶん、私たちに必要かつ重要なことの一つは、泉北をどう作り直せばいいのか、耳あたりのよい泉北の再建コンセプト案「以前」の問題を解決することなのだろう。

この問いに、私たちはきちんと答えなければいけないし、また答えられれば、成功は一歩近づく。


現に、「この町をなんとかしたい」という取り組みに、「立場」から関わっている60代・70代の方たちと話していると、必ずと言っていいほど、「できることなら、大阪市内に引っ越して、もう帰ってきたくない」という言葉が漏れる。

その異口同音ぶりに内心、驚かざるをえないのだが(…というのはお約束で、正直に言うと、もう驚きはない)、「立場」でこの問題と関わると、「この町をなんとか<してほしい>」ということになってしまうのかもしれない。


私たちに必要なのは、一連の問いを答えないままにしておかないこと、一連の記憶を提供できること、それを自ら引き受ける一群の仲間なんだろうな。(個々でも、個人でも、“早く”は行けても、“遠く”までは行けないのだから。)

泉北コモンズ(仮)

「コモンズ」のコモンには、”顧問”と、”common(共有の/共同の)”を掛けています。 泉北に暮らす人たちの顧問'sになれるように、泉北に興味がある人たちの共有地(commons)になれるように、コモンの輪を少しずつ広げていきたいと思います。 あなたもよければ、泉北のまちの住民、応援住民、ふるさと住民、そして私たちの仲間になって下さいませんか? 2040年代の泉北は、自分たち/D!Yで創る

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