まちはもう要らない
先日のエントリ・質問(「まちづくりとか言っているけれど、そもそも町ってもう要らなくない?」by新雅史氏)への、ひとまず自分なりのまとまった回答を用意したいと思っていたが、その過程でいろいろ考えたり調べたりしてみるに、勉強がまるで足りないことが明白で、こりゃいかんなと思うと同時に、いやーこれは面白いなと思う。要勉強である。
先週末にいずみ市民大学まちづくり学部で講義をした最後に、出席者の皆さんにも同じ質問を投げかけると、大多数の方は、「まちは必要だ、人は一人では生きられない。助け合いが必要だ」とおっしゃっていた。
そこでもう少し尋ねてみると、その範囲は、たかだか町内のワンブロック程度の話であることがわかった。
でもそれは、「まち」ではなくて、「近所付き合い」が大事だと言っているに過ぎないのではないか?
木下斉「シャッター商店街は本当に困っているのか」(2016/10/7東洋経済オンライン)では、空き家もシャッター街の持ち主も、実は他に財産や不動産収入があるためお金に困っておらず、空き家の新たな借主・持ち主を探したり、シャッターを空けたりする必要がないというケースが多い。そこを見誤って、間違った補助金政策や事業を行えば、「街の空洞化」をさらに加速させることになる――ということが書かれていた。
この二つ、おんなじ話なんじゃないかな。
私たちの周りの人々は、たかだか町内のワンブロックを越える「まち」を必要としておらず、空き家やシャッター街の持ち主は、それらの不動産を動かす必要を感じていない。
「まち」はもう、要らないんだよ、たぶん。
だとしたら、私たちは、新しい時代に向けて、どの範囲に、何を形作ればよいのだろうか?
(つづく)
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