まちづくりとか言っているけれど、そもそも町ってもう要らなくない?
『商店街はなぜ滅びるのか』(2012年、光文社)の著者の新雅史さんが、こんなことを言っている。
今私たちに突き付けられているのは、「まちづくりとか言っているけれど、そもそも町ってもう要らなくない?」という根源的な問いではないでしょうか。この問いに一人ひとりがどう答えるか、それが求められているように思います。
(藻谷浩介対話集『しなやかな日本列島のつくりかた』(2014年、新潮社、pp.32-33)
こういう問い、エッジが効いていて大好きだ。
ア)思うに、この問いはよくできていて、
①「まちづくりとか言っているけれど、そもそも町ってもう要らなくない?」という(考えようによっては一人では答えられないような)大きな問いの投げかけ。
②その答えは、本質的に、万人に通用するものではないことを知ったうえで、だからこそ「一人ひとりが答える」必要があると促す。
という二段構造を持っている。
イ)後半に書いてある通りに、上記の問いの答えは何でもいいと思う。しかし、その答えが他人と共有されるものでなければ、「どうぞ勝手にやって下さい」になって、その働きは当然、広がりを持たない(よくある話)。
ウ)かといって、先日の私のように、「私の考える“まちづくり”とは、まち・ひと・しごとの持続可能性を高めることである」と表明したとしても、それはあまりに大きな話で、具体的な説明を持たないので、総論賛成・各論反対を呼び込むまでだ(これもよくある話)。
冒頭の問いへの、私の現時点での回答は、
「町はもう要らないと思う」
「ただし、お互いに顔の見える関係は、幸せに生きるのに必要だ」
というものだ。
どうしてそうなのかは、また後日。
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